大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和55年(合わ)354号 判決 1984年4月24日

主文

被告人を無期懲役に処する。

押収してあるライター一個(昭和五六年押第五〇号の4)を没収する。

理由

(被告人の経歴及び犯行に至る経緯)

被告人は、昭和一七年六月一四日、福岡県小倉市で、父××××、母○○の五男として出生し、母が昭和一九年九月死亡したため、その後は、父が再婚していたしばらくの間を除き、父や三人の兄の手で養育され、昭和二四年四月、地元の朽網小学校に入学したものの、小学四年生ころからは殆んど通学しなくなり、以後、家の農業の手伝いをし、或いは、小倉市内の製材所やブロック工場で工員をし、父が昭和三六年一一月死亡したあと、関西方面に出て土工となり、更にその後、山口県下に移住していた次兄××△の世話を受けながら、同県岩国市を拠点に鳶職などとして稼働するうち、昭和四六年夏ころ、飲食店に酒を飲みに行つて知り合つた甲と岩国市内のアパートで同棲を始め、昭和四七年一月一七日同女との婚姻届を了し、同年三月二六日長男乙をもうけたが、妻甲が同棲後間もなくしで異常な飲酒癖を現わし、長男乙の世話もせずい酒を飲み歩いたり、しばしば酔つて暴れたりしたところから、やむなく昭和四八年一月二〇日長男乙の親権者を甲と定めて同女と協議離婚をし、更に、同女が同年二月一五日山口県玖珂社会福祉事務所の指導により岩国市内の医療法人新生会岩国新生病院に精神分裂病患者として入院し、長男乙の面倒をみることができなくなつたため、翌一六日、同県徳山児童相談所に依頼して長男乙を養護施設に預かつて貰い、以後一人で生活していた。ところが、昭和四八年一〇月一五日夜、突然、酒に酔い自己居住アパート二階の他人の居室に入り込んで暴れるという事態を惹き起こして同県岩国警察署に保護され、翌一六日、何者かに怯えている様子などを示したために精神異常を疑われ、三兄××▽の同意のもとに前記岩国新生病院に入院の上、精神分裂病の病名により治療を受け、昭和四九年二月二〇日、同病院を退院したが、約一年後に居住アパートを引き払つて岩国市を離れ、関西方面の岐阜県方面の飯場を転々としながら、土工として稼働するようになり、更に、その後東上して、昭和五三年一一月ころから昭和五五年六月ころまでの間、静岡県、神奈川県及び東京都下の飯場数か所に住み込み、或いは、神奈川県や東京都内の簡易宿泊所に泊るなどして土工の仕事を続けたあと、昭和五五年七月五日から東京都世田谷区内の有限会社黒田工務店に住み込み土工として雇われて稼働し、同年八月一三日、約束の雇傭期間が終了したため、同日夜、七万二〇〇〇円余りの賃金を受け取つてそこを出た。ところで、被告人は、生来繊細で感受性の強い性格を有し、その知能の低さも影響して、自己が精神病院に入院したことに対して大きな恥辱感を持ち、或いは、長男乙を養護施設に預かつて貰う際に、養育費として毎月五〇〇〇円を送金する旨誓約し、昭和四八年以降、多数回にわたり、多額の養育費を山口県徳山児童相談所の担当者宛てに持参ないし送金してきたにもかかわらず、いまだ自己において十分に責任を果たしていないとの強い負い目を感ずるなどし、ついには、自己が福祉関係者から追跡、迫害されているとの追跡妄想、被害妄想を抱くに至り、一定の場所に落ち着いて勤務することができずに職場を転々とするなどしていたところ、前叙のとおり、昭和五五年八月一三日夜黒田工務店を出たあと、東京都内新宿近辺で盆休みを過ごそうと考え、同都新宿区西新宿一丁目一番新宿西口地下街に設置されたコインロッカーに自己の衣類等在中の手提袋を預けた上、同都同区新宿四丁目方面の簡易宿泊所に泊つたが、その際、福祉関係者が同宿泊所に来て自己について調査するのではないかという気持ちに襲われ、それを嫌つて同宿泊所には一泊したのみで出てしまい、同月一四日は、国鉄新宿駅東口付近の神社境内をぶらつき、同月一五日は、多摩川競艇場へ出かけ勝舟投票券を買つて遊び、同日午後八時ころ、一万円ほど負けた不快な気分のまま国鉄新宿駅付近に戻り、清酒を飲みながら同駅付近をぶらつくうち、先に、同月一四日夜、手ごろな旅館を探すため同駅付近で通行人に旅館の所在を尋ねたのに対し、同通行人から、高い旅館なら知つているなどと言われて馬鹿にされたと感じたことや、同月一五日朝、同駅西口の同都同区西新宿一丁目一番四号京王百貨店入口脇の地下街に降りる階段の途中に座つて、清酒を飲みながら大声を発していたところを同百貨店の関係者らしい者に注意されてその場を追われ、その後、同百貨店付近でも、再び大声を上げたところを通行人に注意されたことが思い出され、自己が世間から浮浪者として取り扱われ、馬鹿にされていると感じて、世間に対する憤まんの情が募り、その揚句、どこかにガソリンを撤いて火を付け、世間を驚かそうなどと考えるに至り、同一五日午後一〇時すぎころ、同都同区新宿四丁目二番一六号株式会社杉浦商会共同石油新宿店において、ガソリン一〇リットルを購入してポリエチレン製容器に入れて貰い、これをいつたん前記京王百貨店の西側道路中央分離帯の植え込み内に運び込んで隠した。その後、同月一六日は、再度多摩川競艇場に出かけ、同月一七日は、国鉄新宿駅周辺をぶらついて過ごし、その間、右のガソリン入りの容器を持ち出して、同駅の地下街等をぶらついたりしたことはあつたものの、これを用いることなく右の植え込み内に戻したのち、同月一八日朝、同都八王子市の高尾山方面へ出かけ、私鉄京王線高尾山口駅付近をぶらつくなどして気分転換を図つたが、同月一九日朝、同線高尾駅へ行つた際に、通りがかりの中年女性の何らかの言動に立腹し、次いで同日午前一一時ころ、同駅付近の禁漁の立札のある川で魚釣りをしているところを地元の者に注意されるなどしたため、不快な気分は消えることがなかつた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五五年八月一九日午後七時ころ、前記高尾山方面から国鉄新宿駅付近に戻り、同駅売店で清酒一合入りアルミ缶二本位を買つて、うち一本位を飲んだ上、同日午後八時ころ、先に預けておいた衣類等在中の手提袋を取り出すため、前記新宿西口地下街のコインロッカー設置場所に行つたところ、既に使用期限の三日間が経過し、管理人において右の手提袋を倉庫が保管替えすると共に、コインロッカーの錠を取り替え、別人が荷物を入れていたので、自己の所持していた鍵ではこれを開けることができず、しばらく管理人を尋ね歩いたもののその所在が分らないまま、再度コインロッカーの所に戻つてみると、今度はそれが開いていて、自己の預けた手提袋が見当たらなかつたところから、またも馬鹿にされたものと腹を立て、東京都新宿区西新宿一丁目一番四号京王百貨店西側道路を横切つて、先にガソリン入りのポリエチレン製容器を隠しておいた中央分離帯の植え込みに入り、残りの缶入り清酒一合を飲みながら、目の前の同百貨店西側バス停留所から発着する乗合バスを見ているうち、右のコインロッカーの件に加えて、前叙の有限会社黒田工務店を出たあとの通行人から高い旅館なら知つていると言われたことや、大声を上げたところを注意されたこと等の一連の不快な出来事も思い出され、酒の酔いもあつて、世間が自己を馬鹿にしているなどとの憤まんの情が一気に昂じ、右のバス停留所から発着する乗合バスにガソリンを撒いて放火し、このうつ憤を晴らそうと決意し、ガソリン撒布に適する容器を捜して国鉄新宿駅西口周辺を歩き回り、同都同区西新宿一丁目二番六号ゲームセンター「プレイボックス」横にあつた容量約八リットルのブリキ製バケツを見付けてこれを前記植え込みまで持ち帰り、前記ポリエチレン製容器からガソリン約3.8リットルを右バケツに移し替え、更に、付近に落ちていた新聞紙を丸めて所携のライター(昭和五六年押第五〇号の4)でこれに点火した上、ガソリン入りのバケツを右手に下げ、火の付いた新聞紙を左手に持ちながら右植え込みを出て、その数分前に京王百貨店西側二〇番ポールバス停留所に到着し、三十数名の客を乗車させて発車待ちのため停止していた京王帝都電鉄株式会社所有のV運転に係る中野車庫行乗合バス(登録番号練馬二二か・七七一号)に近づき、その後方を通つて左側に回り、同バス内に多数の乗客らが現在することを認識し、かつ同人らを焼死させることを予見しながら、同日午後九時八分ころ、同所において、「馬鹿野郎。なめやがつて。」と怒号しつつ、あえて、火の付いている新聞紙を同バスの開放されていた後部降車口から内部床上に投げ入れた上、バケツ内のガソリンを右新聞紙付近に投げ掛けるように振り撒いて火を放ち、爆発的にこれを炎上させて同バス(時価約四五〇万円相当)を全焼、焼燬し、よつて、乗客らの生命を危殆に瀕せしめて公共の危険を生じさせると共に、別表(一)記載のとおり、乗客のAほか五名については、同人らを全身火傷等により死亡させて殺害し、別表(二)記載のとおり、乗客Gほか一二名及び運転手Vについては、同人らが辛うじて車外に逃れ出るなどしたため、同表記載の各傷害を負わせたにとどまり、同人らを殺害するに至らなかったものである。

なお、被告人は、本件犯行当時、低知能を基調にして心因反応性の被害・追跡妄想に基づく情動興奮と酩酊との影響を受け、心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)<省略>

(当事者の主張に対する判断)

本件における争点は、畢竟するに、被告人が事前にガソリンを購入した目的は何か、本件犯行の動機をどう考えるか、被告人に殺意があつたか否か及びその責任能力はどうかという点にある。

まず、前三者について、弁護人は、多岐にわたる主張をしているが、その骨子は、第一に、被告人が昭和五五年八月一五日ガソリンを購入した目的は、同月一三日有限会社黒田工務店を辞める際に、同工務店側から、盆休みが終わつたらまた働きに来るように言われ、その積りであつたところ、同工務店では建設機械等にポリタンクからガソリンを給油していたことを知つていたので、ガソリンを持参すれば喜ばれるであろうと考え、これを同工務店への手土産とすることにあつたのであり、本件のような乗客の現在する乗合バスへの放火を企図してこれを購入したのではなく、第二に、本件犯行の動機は、検察官がいうような世間に対するうつ積した妬みや恨みを晴らすことにあつたのではなく、被告人は、その主観的世界の産物である「福祉」に対して激しい憤りを覚え、これに火を付けて反撃しようとしたものであり、第三に、右の「福祉」に対する反撃の意思で、ガソリン入りのバケツと火を付けた新聞紙とを持つて、京王百貨店西側道路の中央分離帯の植え込みを出発し、同百貨店方面へ向つて道路を横断して、同百貨店西側二〇番ポールバス停留所に停止中の京王帝都電鉄株式会社の乗合バス(以下、本件バスという。)の後部降車口前に至り、そこに本件バスが止まっていて降車口が開いているのに気付いた際、折から、新聞紙の火が燃え広がり、自己の手が焦げそうになつたため、とつさに右の新聞紙とガソリンを右降車口に投げ捨てたのであり、その時点においては、「福祉」に対する反撃行為による激しい情動興奮の中で重篤な意識障害に陥つていて、本件バスをその後部降車口前に至るまで認識することができなかつたし、その中に乗客らが現在することを予見又は認識することも不可能であつた、というものである。

次に、責任能力についての弁護人の主張は、本件犯行当時、被告人は「福祉」に追跡、迫害され続けているとの妄想に完全に支配されて、肉体的、精神的に極限状態に追い込まれ、このような状態にアルコールの作用が加わり、「福祉」への反撃に意識が集中して意識狭窄に陥り、心神喪失の状況にあつた、というものであり、一方、検察官の主張は、被告人に妄想等の病的体験があつたとの事実は否定すべきであり、被告人は完全に責任能力を有する状況にあつた、というものである。

ところで、右の各争点についての判断資料として、被告人の捜査官に対する多数の供述調書と公判廷における多数回にわたる供述とが存するが、弁護人は、この捜査官に対する供述調書について、その内容は供述調書ごとに幾重にも唐突に変遷し、変遷後の供述は従前のそれに比して、より詳細、複雑となり、更には被告人の刑責を重くする方向に変つている等の不自然な特徴が認められ、それらはいずれも捜査官の誘導に基づく変遷であり、このような供述調書に信ぴよう性はないと主張し、その反面で、被告人の公判廷における供述を採用すべきことを強調している。しかしながら、被告人の捜査段階及び公判廷における全供述を他の関係証拠と対比するなどして、し細に検討してみると、被告人の供述態度に質問者の誘導に乗り易い、追及されるとその場限りの応答をする等の特徴が認められることは肯定し得るとしても、それを理由にして一律に捜査官に対する供述調書のすべてを排斥することはできず、むしろ、変遷する供述のうち、のちに個々の吟味するところの相当部分は採用するに値するものと考えられ、一方、公判廷における供述中には、事実に反する自己防衛的な部分もあるので、そのすべてを採用することができるわけでなく、これについても個々的な吟味の必要があるというべきである。

以上を前提にして、本件における各争点について順次判断を加える。

注 以下の説明において、被告人又は証人の公判廷及び公判準備における供述はすべて「公判供述」として引用し、被告人又は第三者の検察官に対する供述調書は「検面調書」と、司法警察員に対する供述調書は「員面調書」とそれぞれ略記する。なお、供述議書その他の証拠書類のうち昭和五五年中に作成された分の作成日付は、年号を雀略して月日のみを記載する。また、東京大学教授逸見武光作成の昭和五五年一〇月二七日付「丸山博文に対する精神鑑定書」及び第一四回公判調書中に同教授の証言部分を「逸見第一次鑑定」と、同教授作成の昭和五七年一二月二三日付「建造物等以外放火、殺人、同未遂事件被告人丸山博文に関する精神鑑定書」及び同教授の当公判廷第二二回、第二八回各公判における証言を「逸見第二次鑑定」とそれぞれ略称し、更に、以上を総称して「逸見鑑定」といい、上智大学教授福島章作成の昭和五七年一一月四日付「丸山博文精神状態鑑定書」及び同教授の当公判廷第二一回、第二三回各公判における証言を「福島鑑定」と略称し、社会福祉法人桜ケ丘保養院副院長徳井達司作成の昭和五五年九月二日付「精神衛生診断書」、昭和五八年五月九日付「意見書」及び同医師の当公判廷第二六回公判における証言を「徳井鑑定」と略称する。

一  ガソリン購入の目的について

本件のガソリンを事前に購入した目的に関する被告人の公判口述と捜査官に対する供述との間には、際立つた差異がある。すなわち、被告人は、公判廷において、「八月一五日ころ、黒田工務店への土産にするためガソリンを買つてポリタンクに入れて貰い、同工務店の新宿西口先の工事現場まで運びかけたが、ガソリンが重かつたので、途中、京王百貨店西側道路の中央分離帯の植え込み内にポリタンクを置いていた。」旨供述しているが、捜査段階においては、当初こそ、「ガソリンは今回の事件をやるために買つたわけでない。」(八月二一日検面調書)「ガソリンは何に使うためでもない。」(八月二七日付検面調書)としていたものの、その後、「八月一五日夜、酒を飲んでいるうち、同日朝の不快が出来事などのため頭がかつかとしてきて、ガソリンをばら撒いて火を付け、人を脅かしてやろうと考えてガソリンを買い、植え込み内に隠しておいた。」(八月二八日付検面調書、八月二八日付、同月三一日付、九月一日付各員面調書)とか、「八月一五日夜、その日の不愉快な出来事などが頭に浮んできてかつかとなり、何とか世間の人間又は周囲の通行人に思い知らせてやろうと考えるうち、京王百貨店西側から発着するバスに火を付けてやろうという気になつた。」(九月一日付、同月二日付、同月三日付、同月四日付、同月六日付、一〇月二七日付各検面調書)旨供述しているのである。ところで、関係証拠によれば、有限会社黒田工務店の盆休みは、昭和五五年八月一四日から同月一八日までであつたところ、被告人において、同月一五日午後一〇時すぎころ、東京都新宿区新宿四丁目二番一六号株式会社杉浦商会共同石油新宿店において、ガソリン一〇リットルを購入してポリエチレン製容器に入れて貰い、これを他人に見られないように所携の毛布で包み、同都同区西新宿一丁目一番四号京王百貨店西側道路の中央分離帯の植え込み内に運び込んで隠し、後日、右のガソリン入りの容器を持ち出して、国鉄新宿駅の地下街等をぶらついたりしたことはあつたものの、これを黒田工務店の工事現場へ持参していないことなどが認められるが、そもそも、他人への手土産としてガソリン一〇リットルをこれにあてるということ自体が非常識であり、また、盆休み明けに黒田工務店へ働きに行く際の手土産ということにしては、ガソリン購入の時期が早過ぎるし、その携帯、保管方法にも異常さが認められ、更には、後日ガソリンを持ち歩くなど十分な機会があつたにもかかわらず、これを同工務店の工事現場へ持参しなかつたことなども甚だ異常であり、これらの諸事情を併せ考えるとき、ガソリンは同工務店への手土産であるとの被告人の公判供述を採用することはできないというべきである。これに反して、弁護人は、被告人がガソリンを手土産に選んだ点は建設機械用として喜ばれると考えたことによるので、必ずしも不自然ではない、盆休みが明ける前にあらかじめガソリンを購入した点は相手から礼を言われるのを嫌う性格のゆえに、前もつてひそかにガソリンを持参しようと考えたからであつて、これも不合理でないなどと主張するが、にわかに納得し難く、特に、右のガソリンの事前購入についての理両づけは、被告人が現実にはガソリンを黒田工務店の工事現場に持参していない点にかんがみ、説得力を欠くものである。以上のほか、被告人が数日を出ずにこのガソリンを使つて本件犯行に及んでいることをも参酌すれば、放火に使う目的でガソリンを購入した旨の被告人の捜査段階の供述を採用するのが相当である。ただ、被告人が右のガソリン購入の時点で、すでに京王百貨店西側バス停留所から発着する乗合バスへの放火を企図していたのか、それとも、その時点では、いまだ放火の対象物を特定せず、単にどこかに火を付けようと考えていたにとどまるのかについては問題がある。この点についての被告人の捜査段階の供述は、昭和五五年九月一日の警視庁新宿警察署から東京拘置所への移監を境にして変化しており、前引用のとおり、八月二八日付検面調書、八月二八日付、同月三一日付、九月一日付各員面調書は、どこかに火を付けようと考えてガソリンを購入した旨のものであつたのに対して、九月一日付、同月二日付、同月三日付、同月四日付、同月六日付、一〇月二七日付各検面調書は、乗合バスへの放火を企図してガソリンを購入した旨のものになつているが、このように同じ九月一日に、一方では従前の供述を維持しながら、他方で突如として何らの説明もなしにこれと異なる供述をするというのはいささか不自然であること、変更後の供述内容をし細に検討してみると、その間にも微妙な変遷があり、特に、「バスに火を付けてやろうと思つて、ガソリンスタンドへガソリンを買いに行つた。」(九月一日付、一〇月二七日付各検面調書)旨の部分と、「ガソリンスタンドの所を通りかかつたとき、ふとバスに火を付けてやろうという考えが頭に浮んだ。」(九月二日付検面調書)旨の部分は、無視し難い供述の不一致というべきであることなどを考えると、ガソリン購入の目的が乗合バスへの放火にあつたという認定は無理であつて、その時点では単にどこかに火を付けようと考えていたにとどまるものと認めるべきである。

二  本件犯行の動機について

この点について、被告人の検面調書及び員面調書のうち八月二八日付以降の分には、大要、以下に引用するような供述部分がある。すなわち、被告人は、昭和五五年八月一三日夜、有限会社黒田工務店を出たあと、東京都新宿区新宿四丁目方面の簡易宿泊所に一泊し、同月一四日夜、別に旅館を探すため国鉄新宿駅付近で通行人に尋ねたところ、「高い旅館なら知つている。」などと自己を馬鹿にするようなことを言われ、また、同月一五日午前、京王百貨店入口脇の地下街に降りる階段の途中に座つて大声を発していたところを同百貨店の関係者らしい者に注意されてその場を追われ、次いで、近くの路上で、再び大声を上げ、更に、同日夜、京王百貨店西側バス停留所付近でも大声を上げたところをそれぞれ通行人らから「うるさいぞ。」などと注意されたことがあり、これらの出来事のあと、放火目的を抱いてガソリンが買い、その後、同月一八日から同都八王子市の高尾山方面へ出かけたが、同月一九日朝、私鉄京王線高尾駅で、通りがかりの中年女性から何か腹の立つようなことを言われ、或いは、同日午前、同駅付近の禁漁の立札のある川で魚釣りをしているところを地元の者から注意されたこともあり、同一九日夜、国鉄新宿駅付近に戻つて、同都新宿区西新宿一丁目一番新宿西口地下街のコインロッカーに預けていた自己の衣類等在中の手提袋を取り出しに行つた際にも、保管期限切れにより所携の鍵ではこれを開けることができなかつたのに、しばらくして同じ場所に戻つたときには、自己を馬鹿にするかのようにそれが開いていて、手提袋がなくなつていたという部分である。右の不快な出来事と目されるもののうち、魚釣りの件は目撃者である青木武の員面調書により、コインロッカーの件はその管理人である笠原英次の員面調書二通によりそれぞれ真実性が裏付けられる。その余の出来事については、これを直接に裏付ける資料がなく、弁護人は、それらは被告人の妄想である疑いが濃厚であつて、現実の出来事として断定的に捉えることは誤りであると主張する。しかしながら、京王百貨店西側バス停留所付近で大声を上げて通行人から注意されたという件は、被告人の公判供述により否定されている点を考慮して、一応これを措くとしても、通行人から「高い旅館なら知つている。」などと言われた件や、京王百貨店入口脇の階段と同百貨店付近路上でそれぞれ大声を上げて通行人らから注意を受けた件は、被告人の公判供述中にも同趣旨の供述があることに照らして、それらを現実に起こつた出来事と認定するのが相当である。また、京王線高尾駅における中年女性に係わる件についても、それに言及する被告人の公判供述があるほか、石原正敏の検面調書及び員面調書に、被告人が高尾駅構内を「高尾の住民は頭にきた。叩き殺してやる。」と独りごとを言いながら歩いていたとの記載があるので、被告人において実際に声をかけられたのか、それとも、声をかけられたと思つたに過ぎないのかという点などがなお不明であるが、被告人が同駅で中年女性と出会い、その言動に立腹したという限度では、これを事実として認めることができる。弁護人は、また、京王百貨店入口脇の階段と同百貨店付近路上で通行人らから注意を受けた件について、それは被告人の公判供述によれば昭和五五年八月一七日の出来事であるにもかかわらず、捜査官は同月一五日のガソリン購入の動機を無理に放火に結びつけようとして、被告人を誘導して右の件が同一五日の出来事であるとの供述をさせたものと主張するが、前叙したように、有限会社黒田工務店への手土産としてガソリンを購入したとの被告人の公判供述よりも放火目的でこれを購入したとの捜査段階の供述を採用すべきことにかんがみると、弁護人の主張は論理が逆であつて、むしろ、被告人が放火を考えるに至つたについては不快な出来事が先行する、つまり、不快な出来事があつたので放火を思い立ち、ガソリンを購入したと考えるのが相当であること及び被告人の公判供述のうち第一八回公判分に、捜査官の取調を受けた際右の件について殊更記憶に反する供述をしたことはないとする箇所もあることから、これを同月一五日に生じた出来事と認定することができる。ところで、弁護人は、仮に以上のような不快な出来事が重なつたとしても、これらはいずれも人をして乗合バスへの放火という重大な行動に走らせるほどのことでない上、本件バスとの間に何らの関連性もないのであつて、これらの出来事からする不快感をもつて本件犯行の動機とすることはできないと主張するものである。その点に関して、被告人は、捜査段階において、前記のそれぞれの不快な出来事に遭遇した際に、自己が馬鹿にされたと感じて腹が立つた旨供述しているところ、被告人には、のちに責任能力の項で認定するとおり、被害妄想、追跡妄想があり、福島鑑定によれば、このような妾想のゆえに特に他人の言動を被害的に受け取つて、何ごとにつけ「馬鹿にされた。」と感じ、世間一般に対して恨みや憤りの感情を持ち易い状況にあつたことが認められ、このような事情を考慮すると、被告人の「自己が馬鹿にされたと感じて腹が立つた。」旨の供述部分はこれを信用することができ、結局、被告人は、本件犯行直前に遭遇したコインロッカーの件で馬鹿にされたと感じて立腹しているところに、従前の一連の不快な出来事も思い出され、酒の酔いも手伝い、ひどく興奮して憤まんの情が一気に昂じ、これを晴そうと決意して、本件犯行に及んだものと認められる。本件犯行の動機は、以上のとおり、世間に対する憤まんの情を晴そうとしたことにあるのであつて、弁護人が主張するところの、「福祉」に対して激怒したことがその動機であるとは考えられない。

三  殺意の有無について

被告人において本件バスの存在と乗客らの現在とを予見、認識していたか否かについて、被告人は、公判廷において、「本件バスの後部降車口から中をのぞいたとき、ぱつと明りがきて、客は全然見えなかつた。」「後ろが開いていたので、客は乗つていないと思つた。」「誰も居ないようだつたので、火を付けた。」旨供述しているが(第一三回、第一六回ないし第一八回公判)、捜査段階においては、当初こそ、「乗客のことは頭になかつた。」(八月二一日付検面調書)「火を付けるとき、バスの中に乗客が居ることは分らなかつた。」(勾留質問調書)旨供述したものの、その後は、「ドアから見ると、何人かの人が乗つていた。」(八月二二日付員面調書)「本件バス内に乗客が居ることは分つていた。」(八月二八日付検面調書)「バスの後ろから停留所側に回ると、ちようど一番後ろの降車口のドアが開いていて、バスの中が見え、何入かは分らないが、一瞬ドアから中の乗客の姿が目に入つた。」(九月二日付検面調書)「そのバスは車内に煌煌と電気がついており、乗客が入つていたが、何人位いたのかそこまでは分らない。」(九月四日付検面調書)などと供述してきたものである。ところで、被告人及び目撃者の各供述などによれば、被告人は、本件犯行の少し前、京王百貨店西側道路の中央分離帯の植え込みに入つて、清酒を飲んだりしながら、目の前の同百貨店西側バス停留所から発着する乗合バスを見ていたが、そのうちに、ガソリン撒布に適する容器を捜すため右の植え込みを出て、国鉄新宿駅西口周辺を歩き回り、東京都新宿区西新宿一丁目二番六号ゲームセンター「プレイボックス」横にあつた容量約八リットルのブリキ製バケツを見付けてこれを同植え込みに持ち帰り、先に植え込み内に隠しておいたポリエチレン製容器からガソリン約3.8リットルを右バケツに移し替え、更に、付近に落ちていた新聞紙を丸めて所携のライターでこれに点火した上、ガソリン入りのバケツを右手に下げ、火の付いた新聞紙を左手に持ちながら、車道部分を横断して本件バスに近づき、その後方から左側に回り、「馬鹿野郎。なめやがつて。」と怒号しつつ、本件バスの開放されていた幅約八八センチメートルの後部降車口から火の付いている新聞紙を内部床上に投げ入れ、続いて、バケツ内のガソリンを右新聞紙付近に投げ掛けるように振り撒いて爆発的にこれを炎上させ、その後は、直ちに現場を離れて、前記の中央分離帯の植え込みに戻り、そこに置いていた自己の荷物を携帯して反対側の車道部分を横切り逃走を図つたが、車道を渡り終わつた辺りで通行人に逮捕されたこと、その際、逮捕者に対して本件犯行を否認し、更に、近くの交番まで連行されて、警察官から毛髪が焼け焦げている点を追及されると、「山でめしを食うため焚火をした。」と嘘を言い、当日の午後一〇時一〇分ころ、警視庁新宿警察署において、弁解の機会を与えられたときにも、これと同様の弁解をしたほか、午後一一時一〇分ころ、警察官から酔いの程度を調べるための呼気テストを求められたのに対し、「風船なんかふくらませるか。俺は交通違反ではない。」と応答していること等の事実が認められる。このように、本件犯行及びその前後の被告人の一連の行動は、諸種の複雑なそれから成り立つているところ、これらの行動は、被告人により的確に行われているのみならず、本件バスへの放火とその犯跡隠ぺいという見地からみて、概ね合理的かつ合目的的なものであるということができ、これに加えて、被告人の記憶が、逮捕時から新宿警察署に至るまでの間を除き、ほぼ正確に保持されていることをも考慮すれば、弁護人が主張するような重篤な意識障害はこれを否定して、被告人は、本件犯行当時において、本件バスや乗客らの存在を認識する能力を有していたと認めるのが相当である。一方、本件バスの運転手や乗客らの供述、司法警察員作成の八月二四日付実況見分調書などによれば、本件バスは、本件犯行の数分前から京王百貨店西側バス停留所に車内燈をつけて停止していて、三十数名の客が断続的にこれに乗車し、犯行時には満席となつて、車内前部に二名位、後部に一名位が立つていたこと、被告人が前記植え込みでガソリンをバケツに移し替えた地点から本件バスまでの距離は、わずか二十数メートルで、その間にしやへい物がないので、植え込みから本件バスを視認することは十分に可能であり、また、被告人が本件バスの左側に回つた時点では、その三か所の乗降口がすべて開放されていて、車内の乗客らがよく見える状態にあつたことが認められる。以上のような被告人の認識能力及び現場の客観的状況等によれば、本件バスの存在と乗客らの現在とを認識していた被告人の捜査段階における供述こそ採用に値すると考えられる。

このようにして、被告人は本件バス内に多数の乗客らが現在することを認識していたものと認めることができる。そして、本件放火に使用されたガソリンの強力な引火性や約3.8リットルの量のそれを乗合バスの内部で発火、炎上させた本件放火の態様に照らせば、被告人には、本件バス内の乗客らを焼死させることを予見しながら、あえて放火行為に及んだものとして、本件バスへの放火の故意はもとより、その乗客らに対する殺意もあつたと認められる。

四  責任能力について

被告人の本件犯行当時における責任能力を判断するに当たつては、その知能の程度、酔いの状況及び病的体験の有無について検討する必要がある。

まず、被告人の知能程度についてであるが、問題となるのは、福島鑑定が被告人の知能を精神薄弱軽愚級と結論づけている点である。検察官は、これを批判して、福島鑑定は言語性検査と動作性検査の二部から成るWAIS知能診断検査において被告人の全検査知能指数が六九(言語性検査知能指数六六、動作性検査知能指数八一)を示したことを重視しているが、WAIS知能診断検査では学校教育を受けなかつた者の場合に言語性検査結果が低値を示すのが普通であるから、満足な学校教育を受けていない被告人の場合も知能指数全体が引き下げられ、また、被告人は右の検査を受ける際に極めて消極的な態度をとつたもので、これが検査結果に影響を及ぼしていると考えられることよりして、福島鑑定における知能指数六九という数値は被告人の知能程度を正確に反映していないというべきであり、一方、被告人は長年にわたつて独立した社会生活を営み、一般人としての正常な行動をとつてきており、とりわけ、試験に合格して自動車運転免許を取得した点などは被告人が精神薄弱軽愚級にないことを如実に示すものであつて、その知能程度は通常人に比して劣つていないと主張する。しかしながら、右の検察官の主張はこれを採用することができないと考える。その理由の第一は、福島鑑定は、被告人及び近親者の各供述などにより認められる、被告人が小学四年生ころから殆ど学校へ行かなくなり、その後は肉体作業等の未熟練労働のみに従事し、しかも稼働先を転々と変えてきたという生活史、鑑定時の面接から得られた、被告人が抽象的な言葉の理解に乏しく、説明もあいまいで、言語による表現能力が低い等の面接所見及びWAIS知能診断検査をはじめとする諸種の心理テストの結果を総合して、被告人の知能を軽愚級の精神薄弱と判断したものであるということである(福島証人の公判供述)。検察官のいうWAIS知能診断検査について、福島鑑定は、学校教育の不足等が言語性検査知能指数を引き下げていることを当然の前提とし、更に、被検者の態度などにより検査結果が変ることのあり得ることを認めた上で、全検査知能指数六九をおおよその基準として取り扱つているのであつて、それを絶対視しているのではなく、他にも知能検査を含む九個の心理テストを実施して、例えば、脳研式知能検査の結果が正常下位と精神薄弱級の境界域の値を示し、HTP描画テストやロールシャッハテストでも知能が低いことを推定させる所見が得られたことなどをも参酌していることは明らかである。また、被告人が長年にわたつて独立の社会生活を営み、自動車運転免許も取得しているという点についての福島鑑定の説明は、被告人の場合のように精神薄弱のうちでも最も軽い軽愚級の例にあつては、状況と対人関係に恵まれれば稼働を続けることは十分可能であるし、精神薄弱者による自動車運転免許取得の事例も稀でなく、むしろ、被告人の職歴が諸所を転々として未熟練労働に終始するというものであつたこと等の生活史が被告人を軽愚級精神薄弱者とする一つの根拠になる、というのであつて、この説明には納得し得るものがある。第二の理由は、福島鑑定は、そもそも、精神薄弱か正常かという微妙な所を問題とし、そこに一線を画して責任能力についての鑑定結果を左右させようという態度をとつているわけでなく、一般に、知能の程度が物事に対する判断、感情のコントロール、人格の成熟発展などの場面で大きな影響を与えるところから、右の物事に対する判断能力等との関連で被告人の知能程度を問題としているということである(福島証人の公判供述)。したがつて、福島鑑定が被告人の知能を軽愚級の精神薄弱としたその結論のみを重視し、又はこれを非難するのは正当でない。以上のとおりであつて、福島鑑定における被告人の知能程度についての判断には間然とする所がない。そして、福島証人の公判供述及び同教授作成の「丸山博文精神状態鑑定書」を総合すれば、被告人は、知能が低く、軽愚級の精神薄弱に相当し、言語的表現力や抽象的理解力に乏しく、社会的適応人や人格的成熟の面に不十分さがあると共に、現実の認識や判断において通常人と比較すると能力が劣つていることが認定される次第である。なお、一方の逸見鑑定中には、被告人に精神発達遅滞はないというかのような部分があるが、それは生物学的障害の結果としての知能障害はないという趣旨であり、同鑑定も、被告人について、満足な教育を受けていないため抽象的理解力に劣り、また、重大な場面で判断力が落ちることがあり得ると判断している。

次に、本件犯行当時における被告人の飲酒による酔いの状況について検討すると、被告人の供述によれば、その飲酒歴は二五歳ころから始まり、本件犯行のころの酒量は清酒二、三合であり、多いときでも五合位のものであつたこと、本件犯行当日の昭和五五年八月一九日には、早朝から午後にかけて清酒二、三合を飲んだものの、午後七時ころ高尾山方面から国鉄新宿駅付近に戻つた時点では、その酔いはすでになくなつていたこと、その後午後八時ころまでの間に清酒一合位を飲み、更に、本件犯行の少し前に、京王百貨店西側道路の中央分離帯の植え込みにおいて、清酒一合を飲んでいることが認められるところ、福島鑑定及び逸見鑑定は、いずれも被告人に酒精精神病の徴候はないと判断し、また、徳井医師作成の「精神衛生診断書」も同様の見解をとつている。これに反して、本件犯行当時の酩酊状況については、福島鑑定と逸見第二次鑑定とで結論を異にし、福島鑑定は軽度の単純酩酊を、逸見第二次鑑定は複雑酩酊をいうのであるが、被告人が高尾山方面から国鉄新宿駅付近に戻つてから飲酒したのは清酒二合位であつて、飲酒量はそれほど多くないこと、前叙のとおり、被告人は、本件犯行及びその前後を通じて、諸種の複雑な行動を的確に行つており、それらは、本件バスへの放火とその犯跡隠ぺいのためには概ね合理的、合目的的なものであること、被告人の記憶は、ほぼ正確に保持され、逮捕から新宿警察署に至る間の健忘を訴える部分も、その間の被告人の挙動に何ら異常がないことよりして、それは逮捕されるなどしたための驚愕に基づく心因性健忘に過ぎないと認められること等の諸事情を併せ考えると、被告人の本件犯行当時の酔いの状況は、軽度の単純酩酊にとどまるものと認定するのが相当である。

最後の論点は、被告人において本件犯行に至るまでの間にいわゆる病的体験を有していたか否かであるが、この点の解明に当たつては、その前提として、被告人の性格と経歴、本件犯行に至る経緯などを右に関連する限度で明らかにしておく必要がある。被告人、近親者、雇主その他関係者の各供述などによれば、被告人は、判示のとおり、山口県岩国市を拠点にして稼働していた昭和四六年夏ころから甲と同棲生活に入り、その後同女と正式に婚姻して、昭和四七年三月二六日長男乙をもうけたが、右甲が長男の世話もせずに酒を飲み歩いたり、酔つて暴れたりしたので、昭和四八年一月二〇日協議離婚をしたところ、その直後に、同女が精神分裂病に罹患していたことが判明し、同年二月一五日社会福祉機関の指導により岩国市内の医療法人新生会岩国新生病院に入院し、その結果、長男の面倒をみる者が居なくなつたため、翌一六日、長男を養護施設に預かつて貰い、以後一人で生活するうち、自らも、同年一〇月一五日夜、突然、酒に酔い他人の居室に入り込んで暴れるという事態を惹き起こして、同県岩国警察署に保護され、翌一六日、右の岩国新生病院に入院した上、精神分裂病の病名により昭和四九年二月二〇日まで治療を受けたこと、被告人が社会福祉機関と係わりを持つようになつたのは、長男を養護施設に預かつて貰つたころからであり、その際、養育費として毎月五〇〇〇円を送金する旨誓約して、昭和四八年ころから昭和五五年三月までの間に多数回にわたり合計六〇万円余を福祉担当者宛てに持参ないし送金してきたこと、また、被告人が岩国新生病院を退院して間もなく、福祉担当者に対し、二回ほど、長男を引き取りたいと申し出たが、その都度、一五歳に成長するまで引き取りを待つように言われると共に、自らの生活態度を改め飲酒を慎むように指導されたりしていること、右病院退院後の被告人の居住状況は定着性を欠き、約一年にして岩国市を離れ、以後各地の飯場を転々としていたが、この間の昭和五三年五月ころ国鉄大阪駅で次兄の△と落ち合つて、千葉県まで一緒に働きに行つたものの、一日か二日のうちに、突然「ちよつと具合が悪くなつたから帰る。」と言つて、勤務先を出てしまい(証人△の公判供述及び同人の員面調書)、更に、昭和五四年以降においても、再三にわたり、真面目に稼働していた飯場を突然賃金も受け取らずに無断で飛び出していること(K、E、M及びYの各員面調書)、昭和五五年八月一三日夜、有限会社黒田工務店を出たあとは、簡易宿泊所に一泊したのみで、所持金があるにもかかわらず右の宿泊所には戻らず、本件犯行当日まで国鉄新宿駅周辺や私鉄京王線高尾駅付近で野宿をしていたことなどが認められ、また、被告人の性格傾向をみると、被告人は、生来、内向的でおとなしく、従順で素直な性格を有すると共に、繊細で感受性の強い性格も持ち合せ、その知能の低さも影響して、離婚した妻の精神病発症について罪責感を抱き、また、自己が精神病院に入院したことに対し大きな恥辱感を持ち、或いは、福祉担当者に長男の養育費として多額の金員を持参ないし送金しているのに、いまだ自己において十分に責任を果たしていないとの強い負い目を感じ、更には、長男引き取りに関する福祉担当者との折衝をその指示に逆らつたと受けとめて後悔の念を抱き続けるなどしてきたこと等が認められる。さて、被告人は、逸見第一次鑑定によれば、逸見教授が捜査段階の昭和五五年九月一九日と同年一〇月一日に行つた面接時に、「役所、福祉の人は怒つていると思う。」とか、「福祉の人が自分を追いかけている。」「誰か、福祉の人が私をおちよくる(馬鹿にする、からかうの意)ようにさせている。」「誰かにかまわれている。」とかの訴えを繰り返えし、また、前記の簡易宿泊所に一泊した際のこととして、「役所の人が調べに来たので、まずいと思つて、翌日から泊らなかつた。」と説明し、その後、公判廷でも、「行く先々に山口県の役所の人がついて来て、嫌がらせをしたり、おちよくるので、体裁が悪くなり、そこを辞めてよそへ行くと、またそこに役所の人が来て、おちよくられ、体裁が悪いので逃げ出す。」「簡易宿泊所に役所の人が来て、嫌がらせをしたので、体裁が悪いから、もう出ようと思つてそこを出た。」などと供述しているほか、福島鑑定及び逸見第二次鑑定によれば、同教授らが行つた各面接、問診時にも、概ね同様の説明をしていることが認められるが、検察官は、右のような被告人の病的体験に関する供述に信ぴよう性がないことを強調し、その理由として、被告人は、捜査段階において、その生い立ちから本件犯行に至るまでの生活状況、境遇、いわゆる放浪生活の理由と経過、本件犯行の動機の形成過程等を含む本件事実関係の全体につき多数回にわたり取調べを受けて、具体的、詳細な供述をしているところ、仮に、本件犯行の背後に、動機と密接に関連する「福祉」からの迫害と解されるような病的体験が存在したとすれば、当然自己の立場を弁明するため、捜査初期の段階からその旨供述して然るべきであるが、それにもかかわらず、逸見教授による面接時に至るまでそれをしなかつた点について、被告人から何らの納得し得る理由も示されていないこと、右の逸見教授の面接時における被告人の態度は、その生活歴や福祉等からの迫害状況については詳細に述べながら、本件犯行自体の説明はこれを拒否するというものであつて、自己の刑責を免れ又は軽減しようとして意図的、作為的に述べている疑いが強いこと、被告人の公判供述は、弁護人の極めて誘導的な質問に対してなされたものである上、その内容も大部分が断片的であいまいかつ漠然としているのみならず、前後矛盾する箇所も見られること、その後の福島、逸見両教授による各面接、問診時の説明は、いずれも多数回にわたる公判審理を経た上でなされたものであり、その間の弁護人による誘導的な質問の影響を受けている疑いが濃厚であるほか、内容にも公判供述についてと同様の問題点があることなどを挙げている。そこで、検察官の右主張の当否について検討すると、前引用の被告人の病的体験に関する供述は、或いは逸見第一次鑑定における面接時に初めて出てきたかのように見られないでもない。しかしながら、それに先行する被告人の九月三日付検面調書中に、各地を転々として仕事先を変えてきた点に関して、「福祉関係の人に会うとこれまでのことを調べられてしまうのではないかと思い、仕事先を無断で飛び出してしまつたことがある。」旨、及び、簡易宿泊所の件について、「同じ部屋に泊つている人達の話で、福祉関係のことが耳に入り、その関係の人達が来て何やかやと調べられたらまずいと思い、その晩泊つただけで朝そこを出てしまつた。」旨それぞれ供述している部分があり、更に、その後の一〇月二七日付検面調書にも、簡易宿泊所の件について、「このベットハウスには顔ははつきり見なかつたが、福祉関係の人が来たように思つたので、そんな人に会えば施設に預けたままの長男のことや病院に入つている別れた妻のことが思い出されて一層つらくなるので、一泊しただけでそこを出た。」旨供述している部分がある。検察官は、右の各検面調書の供述部分について、これは、離婚した妻が精神病院に、長男が福祉施設に居る立場の被告人の自然な感情の現れとも、また、ふとしたことから平素気にしていることについて抱き勝ちな思い過ごしとも解釈される了解可能な心理状態などを供述したものであつて、「福祉」が被告人を馬鹿にするという公判供述とは根本的な相違があるというのであるが、福島鑑定や逸見第一次鑑定も指摘するように、社会福祉機関に係わりのあつた山口県岩国市を離れたにもかかわらず、なおも福祉関係者から調べを受けるのではないかとの思いを抱いて勤務先を飛び出し、或いは、福祉関係者が簡易宿泊所に来たように思われたので同所を出るなどという事態ないし思考内容は異常であつて、右に引用した九月三日付及び一〇月二七日付各検面調書の記載部分は、いずれも病的体験についての供述と認められる。そうすると、先の検察官の主張とは異なつて、被告人は、逸見教授の第一次面接を受ける前から、捜査官に対して、すでにその病的体験についての供述をしていたことになる。次に逸見第一次鑑定の面接時における被告人の態度についていえば、被告人は、福祉関係者からの迫害状況に関しては説明するが本件犯行は否認するというような態度に出たわけでなく、後者についても、具体性を欠く表現であるものの、「あんなことをやつた。」と述べていることは、逸見第一次鑑定により明らかであり、これに反して、病的体験に関して意図的、作為的な説明がなされたことを窺わせる証拠はない。更に、被告人の病的体験に関する公判供述や福島鑑定、逸見第二次鑑定の各面接、問診時における説明の内容についていえば、検察官が指摘するように、それらには、断片的で漠然としている点や前後矛盾する点などがあるほか、誇張又は作話を思わせる部分もあるが、大筋では、福祉関係者から追跡、迫害されているという考えを持ち続けてきた旨の供述をしていることは明らかであり、なお、被告人の知能や性格などをも考慮して供述内容を精査すれば、右のような供述の欠陥は、被告人に社会福祉機関との係わりはできるだけ供述したくないとの心情があることや、その言語的な表現能力の乏しさ、或いは、その場限りの応答をする傾向などに原因するものと認められる。その他の検察官が挙げる諸々の理由も、被告人の病的体験に関する供述の信ぴよう性を否定するに十分でなく、検察官のこの点についての主張は失当である。要するに、被告人の供述は、少なくとも、福祉関係者からの追跡、迫害をいう点において、その信ぴよう性に問題がなく、前叙の被告人が各地の飯場を転々とし、その間再三にわたり唐突に勤務先を飛び出しているとの事実による裏付けもあるので、右供述部分を採用すべきである。この被告人の福祉関係者から追跡、迫害されているという考えを持ち続けてきた旨の供述と福島鑑定及び逸見鑑定とを総合すれば、本件犯行当時、被告人には被害妄想、追跡妄想が存在したものと認められる。そこで、進んで、この被害・追跡妄想の発生機序を考えてみるに、被告人が昭和四八年一〇月一六日から昭和四九年二月二〇日までの間医療法人新生会岩国新生病院に入院した際の病名は、精神分裂病となつているが、福島鑑定、逸見鑑定及び徳井鑑定のいずれも、被告人にかつて精神分裂病に罹患したことを示す人格変化等の症状を見出すことができないと診断していることから考えて、右の妄想は精神分裂病に起因するものでないと認められる。ところで、被告人は、前認定のとおり、低い知能と繊細で感受性の強い性格のゆえに、離婚した妻を精神病にしたという罪責感、自己の精神病院入院歴に対する恥辱感、長男を社会福祉機関に預かつて貰つていることについての負い目、長男引き取りに関して福祉関係者に逆らつたという後悔などを抱き続けてきたものであつて、福島鑑定によれば、これらが持続的に被告人の心の負担となり、このような心理的な原因をきつかけにして反応性に妄想が形成されたことを認めることができる。すなわち、被告人に見られる被害・追跡妄想は、心因反応性の妄想であり、この点については、逸見第二次鑑定も、敏感性関係妄想として同様の結論を示している。これに反する徳井鑑定は、にわかに採用することができない。

以上を要するに、被告人は、知能が精神薄弱軽愚級にあつて、精神的成熟が劣る上、被害妄想、追跡妄想を抱いており、更に、本件犯行時には、著しくではないとしても飲酒酩酊の状態にあつたものである。本件犯行の動機は、先に殺意の項で認定したとおり、本件犯行直前に遭遇したコインロッカーの件で自己が馬鹿にされたと感じているところに、従前の一連の不快な出来事も思い出され、ひどく興奮して世間に対する憤まんの情が一気に昂じ、このうつ憤を晴そうとしたことにあるが、このような動機が形成されるについては、被告人に被害・追跡妄想があつたがため、これを持たない者が感じるのと比較して、他人の言動をより一層被害的に受け取り、その経験した一連の不快な出来事により「馬鹿にされた。」と感じて立腹し、世間に対して恨みや憤りの感情を持つたことが主たる要因となつており、その意味からすれば、被害・追跡妄想という精神障害と本件犯行の動機形成との間には本質的に重要な関連性があると考えられる。そして、右の情動興奮は、酒の酔いが手伝つて一気に昂じ、精神的成熟に劣る被告人に強度の影響を与え、被告人は、その影響を受けて本件犯行に及んだのであつて、当時、是非善悪を弁識し、それに従つて行為する能力が著しく低下していたものである。なお、弁護人は、本件犯行時における被告人は被害妄想に支配され、その「福祉」への反撃に意識が集中して意識狭窄に陥つた結果、ガソリン入りのバケツを右手に、火を付けた新聞紙を左手に持つて、交通量の激しい道路を走行車両に何らの注意も払わずに横断した上、本件バスに右の新聞紙とガソリンを投げ入れて炎上させるという将に自殺に等しい行為をしていることからも明らかなように、自己の生命、身体に対する危険を認識する能力までも失つた状況で本件犯行に及んだものであつて、それは心神喪失状態に当たると主張するが、すでに説明したとおり、本件犯行の動機は、世間一般に対する憤まんを晴そうとしたことにあつて、自己を追跡し迫害する社会福祉機関に対する怒りに基づき、直接これに反撃しようとしたことにあるわけでないこと、被告人の本件犯行が自らを死に至らせるほどに危険な行為であるとの弁護人の指摘は必ずしも当を得たものでなく、むしろ、被告人は、本件犯行及びその前後を通じて、諸種の複雑な行動を的確に遂行していることなどにかんがみ、本件犯行当時において、被告人の主体的意志決定の能力は完全には失われていなかつたと認められ、したがつて、心神喪失はこれを否定すべきである。

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち、各殺人の点はいずれも刑法一九九条に、各殺人未遂の点はいずれも同法二〇三条、一九九条に、建造物等以外放火の点は同法一一〇条一項にそれぞれ該当するところ、右は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により刑及び犯情の最も重いBを被害者とする殺人の罪の刑で処断することとし、所定刑中死刑を選択するが、右は心神耗弱者の行為であるから、同法三九条二項、六八条一号により無期懲役に法律上の減軽をした上、被告人を無期懲役に処し、押収してあるライター一個(昭和五六年押第五〇号の4)は判示殺人、同未遂及び建造物等以外放火の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、繁華街のバス停留所に三十数名の客を乗車させて発車待ちをしていた乗合バスにガソリンを使つて放火し、同バスを全焼させて公共の危険を生じさせると共に、乗客らのうち六名を火傷死させるなどして殺害し、うち一四名に対してはこれを殺害するに至らなかつたものの加療一週間ないし六か月間を要する火傷、熱傷等の傷害を負わせたという類例を見ないほどの凶悪重大事犯である。この本件犯行の動機は、世間に対する憤まんの情が昂じてこれを晴そうとしたことにあるが、そこに至る間に被害妄想、追跡妄想が介在する点を考慮するとしても、たまたま本件バスに乗り合せたに過ぎない乗客らが右のような被害を甘受すべきいわれは毫もなく、一方、被告人が世間に対する憤まんを募らせた理由の中には、自らが酔余公の場所で大声を上げて通行人から注意されたこと等の本来その非に属するものもあり、このような意味合いで、動機において酌量の余地に乏しい。また、その犯行態様は、ガソリン撒布に適するバケツを捜してきて、ポリエチレン製容器内のガソリン約3.8リットルを右バケツに移し替えた上、本件バスの後部降車口に近づき、いきなり火を付けた新聞紙を車内に投げ入れ、これに右のガソリンを投げ掛けるように振り撒いて爆発的に炎上させ、瞬時にして車内全体を火の海と化した残虐極まりないものであり、それによつて、最後部座席の三名の乗客は、逃げるひまもなく激しい火炎に焼かれてそのまま絶命し、他の乗客らは、火傷を負うなどしながら辛うじて車外へ脱出したものの、そのうち三名は、手当の甲斐もなく苦しみの末に死亡し、一命を取りとめた者らも、肉体的精神的苦痛にさらされる等の重大、悲惨な結果を招き、なお、バス会社に対しても、本件バスの全焼による多大の損害を与えたものである。特に、非業の死を遂げた六名についていえば、その無念さと各遺族の悲嘆や憤りは察するに余りがあり、同時に、働き手を失うなどした遺族の将来にわたる数々の労苦を思うと同情に堪えない。しかるに、被告人側からは、被害者、遺族或いはバス会社に対して、全く慰謝ないし損害賠償の方途が講じられていないのであつて、遺族らが被告人に対して極刑を望む心情も当然のことと考えられる。更に、本件は、公共の輸送機関である乗合バスに放火して、乗車していた無過失の一般市民を無差別大量に殺傷した事件として、社会に与えた恐怖と衝撃にも測り知れないものがある。以上にかんがみると、被告人の判示のような不遇な生育歴や家庭環境、福祉関係者から追跡、迫害されているとの妄想などから各地の飯場を転々とした不安定な生活状況、養護施設に預けてある長男の養育費を長年にわたり律義に送り続けるなどした真面目さ等や、古く道路交通法違反の罪により二回罰金刑に処せられている点を除き前科前歴がないこと、本件犯行を真摯に反省し、被害者や遺族に対して心から謝罪の意を表していること等の諸情状を十分しん酌しても、被告人の刑責は余りにも重大であつて、法律上の必要的減軽事由がなければ、極刑をもつて処断すべきところである。しかしながら、被告人は、本件犯行当時、心神耗弱の状態にあつたので、無期懲役に法律上の減軽をした上、被告人を無期懲役に処することとした次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(神田忠治 松本弘道 阿部潤)

別表(一)

番号

氏名

死亡時の

年齢

死亡日時(ころ)

死亡場所

死因

1

A

四〇歳

昭和五五年

八月一九日

午後九時八分

東京都新宿区西新宿一丁目一番四号

京王百貨店西側二〇番

ポールバス停留所に停車中の乗合バス内

全身火傷

2

B

八歳

同右

同右

同右

3

C

二一歳

同右

同右

同右

4

D

二六歳

同年同月二三日

午前五時二八分

同都板橋区加賀二丁目一一番一号

帝京大学医学部附属病院

同右

5

E

二九歳

同年一〇月一六日

午後六時四二分

同都新宿区市谷河田町一〇番地

東京女子区科大学病院

全身火蕩による敗血症

6

F

三六歳

同年同月二六日

午前一一時

同都文京区千駄木一丁目一番五号

日本医科大学附属病院

同右

以上

別表(二)

番号

氏名

受傷時の

年齢

傷害名及びその部位・程度

1

G

二一歳

加療約六か月間を要する顔面、両上下肢、前胸部、背部、腎部火傷

2

H

三六歳

加療約六か月間を要する顔面、背部、両上下肢熱傷

3

I

三三歳

加療約三か月間を要する両上下肢、顔面、腎部火傷

4

J

五五歳

加療約三か月間を要する左踵骨骨折、両前腕、手、左肘、両耳部火傷

5

K

三三歳

加療約三か月間を要する顔面、頸部、背部、両上下肢熱傷

6

L

二二歳

加療約五週間を要する顔面、両側前腕、手、両側足熱傷

7

M

六六歳

加療約四週間を要する顔面、左頸部、背部、両上肢熱傷

8

N

二一歳

加療約三週間を要する右上腕、肘、左前腕、両足火傷

9

0

二六歳

加療約三週間を要する頭部、右手、左上肢火傷、左膝下腿打撲擦過傷

10

P

三四歳

加療約二週間を要する左顔面、左耳、耳後部熱傷

11

Q

六八歳

加療約二週間を要する左膝打撲症、左肘挫傷、頭部、両手火傷

12

R

三四歳

加療約二週間を要する左上下肢火傷

13

U

四四歳

加療約一週間を要する右膝打撲

14

V

三一歳

加療約一週間を要する左耳介部、右大腿、右第三、第四指火傷

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例